小学生の頃は、事務用の文具店や書店の文具コーナーに入り浸っては様々な文具を買い集めていた。SARASAクリップ(ZEBRA)の発売が2003年、JETSTREAM(三菱鉛筆)は2006年、STYLE-FIT(三菱鉛筆)は2009年と、小学生の時分には今も競合を続けているような筆記具が立て続けに発売されていたような状況だった。そういった背景があって、何度も文具店に通っては面白いものが無いかと端から端まで棚を見て回って遊んでいた。

 中学に入った時だったろうか。いつもの様にひとり文具屋で棚を吟味していた所、生徒手帳と全く同じサイズの小さな手帳に出会った。元々手帳というものに憧れを抱いていたし、持ち物などのメモに何か欲しいと思っていたので迷わすそれを買った。付属の小さな鉛筆で、毎年同じ事を議論している生徒総会の内容を書き写しては面白がったり、眠くてどうしようも無い時の落書き用にしたり、割と自由に使っていた気がする。

 その後、高校に入りバイトを始めると、シフトを書き写す用に使い始めた。しかし手のひらサイズの手帳では大きさが足りなかった。そうして買い換えたのが、Dacinchの文庫本サイズのリフィル式手帳だった。

 このDacinchの手帳は牛ヌメ革でできていて、人生で初めて買った革製品だった。革は大人の象徴。憧れ。きっと多くの人は初めて買う革製品と言うと、ローファーや革靴なのだろう。私もそう思っていた。しかしながら私の足は、富士の裾野を思わすような雄大な幅広甲高である。制服の注文会場にあるすべてのローファー、男性用の革靴、店員さんが履き慣らして広く柔らかくなったローファー、すべての革靴という革靴に足の半分も入らずに予選敗退。幸いにも、靴に指定が無い学校だったので事なきを得たが、はじめての革デビューの機会を完全に失ってしまったのだった。
そういった背景がある中で、初めて自分で手にした、それも自分のお金で買った手帳だった。あのときの喜びは今でも覚えていて、使い込まれすっかり柔らかくなった今でもこの手帳は持ち歩きのメモ帳として大事に使っている。

 大人になってもこの手帳を使うんだろうなと思っていたものの、案外現代の大人は手帳を使うことが無い。上手に使える人は上手に使っているのだろうが、下手に使うとスケジュール共有の言った言わない問題に発展する。特に情報の代謝が早く、連絡する先が多いような仕事の場合、事務所の工程表ボードに直接書いて共有したほうが手間が少なく事故も起こりづらい。
そんなこんなで、社会人になってから約7年。ヌメ革が多少柔らかくなっただけで、手帳を手帳として使わずに今に至っていたのであった。

 今回手帳を買おうと思った切っ掛けは、調べもの都合だった。仕事でも趣味でも、ジャンルの垣根を飛び越えた調べものを多くしていたが、知識が集積されるものの、いつどこで何で調べた内容なのかという情報がごっそりと抜け落ちてしまい非常に不便していた。調べものの用途はその時々で必要なのであって、ノートにまとめるほど憶えておかなければならないものでもない。そのため目で読んで脳で覚えるだけにとどめていたのだが、後工程でもう一度資料を参照しようとすると途端に資料がヒットしなくなるという手間が生じていたのだ。

 手帳はすぐにAmazonで注文した。高橋手帳のNo.66。週間レフト式なので、左のスケジュール欄に「いつどこで何を調べたか」を記録し、右のフリースペースは日記にした。
案の定、左欄に調べもの記録を書いたのは初日だけだった。調べものの量が多く細分化されているので非常に効率が悪い。結局、調べものはGoogleのブックマークバーを活用し、重要なものだけブクマするようになった。

 その後は、右に日記を書きつつも左に出社時間と退勤時間を記録するようになった。勤務時間を書いてみて気付いたのだが、10時から働くとそれまでの間だらだらと支度をしたりSNSを見たりと消極的な生活をしてしまう。ゴミ出しの時間があるから遅く起きるわけにもいかないし、退勤して買出しや夕食・風呂を済ませるともう21時は過ぎてしまい脳が睡眠を求め始める。それならば8時台には出勤して17時台には終業していたほうが時間を自分のために使う事ができる。そして何より、日没までに仕事が終わっていると「夜になっても仕事をやってる感」がなくて心が清々しい。

 そして今、左のスケジュール欄はほとんど使わなくなった。予定は月間ブロックのページに書ききれるし、スケジュールを書いたところで見返しても特に面白くなかった事もある。ただ、右欄の日記については7週目に入った今も続けており、一日の楽しみにもなる程だ。

 日記の何が良いのか、日記を始める前は全く分からなかった。数日後には覚えてないような記憶は思い出では無い、覚えている必要は無いと思っていた。だが、よく考えて見てほしい。2023年はどんな年でしたかと問われたら、何を思い出すだろうか。病気がちだった事?大変な年だった事?大きな出来事があった事?パッと思い出す事は突き当たった壁の方が多いだろう。365日を年齢の分歩んできたはずなのに、日常の些細な喜びも感動もほとんど忘れてしまっているのだ。反芻し懐古する術もなく「忘れた」ものとして破棄されて居るのだ。忘れてたまるか。私はまだ生きている!自分の為の自分の軌跡を破棄されてたまるものか!日記をはじめてからは、毎日がたった二百文字の情報量で確実に記録されていく。先週何を書いたのかは今週には忘れてしまっているが、たった1冊の手帳を開き読み返す事でその日の記憶を思い出す事が出来る。二百文字の情報を頼りに、文章では書かれていない記憶も蘇る事があるかもしれない。

 私は今年で25歳になる。85歳まで生きたとしてあと60年。記憶力も感情も弱まっていったとしても、21,900日分の過去が、感動が、思い出が、記憶が、軌跡が手元にあるのだ。どんな人生だった?と問われた時に、大変な事も沢山あったけれど、わりかし幸せだったと思うよと言える根拠こそが日記なのだ。

 実際この7週間を見返すと、確実に刻むように毎日を生きているように感じる。思い返した時に感じる情報量こそが充実の正体なのかもしれない。

 答え合わせは遠い未来の私にお願いしよう。


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