やわらかい、はる。


 冬物の布団カバーと毛布を干しにベランダに出た。
春霞む薄い曇り空から日差しが透けていてとても心地が良い。

 この間の春の嵐でだいぶ桜も散っており、そろそろ八重桜が見ごろかと考えながら少しぼんやりする。
 手に持っていた毛布を干し、のろのろとしわを伸ばす。僅かにひんやりとする風が気持ちいい。もし今日が仕事でなかったらこのまま日本酒の瓶を抱えながら酒盛りでもしたいものだ。

 後ろ髪を引かれる気持ちで、この景色を脳裏に焼き付けようと立ち止まったその時。雪が降っていた。

 否、良く見れば桜の花びらだ。本当に雪が降っているのかと錯覚するほど、静かに柔らかく舞う桜。一番近い桜の木でも百メートルは先の谷の方にある。

 しかし不思議なことに、花びらを連れてくるほどの風は吹いていなかったのだ。終始そよそよと頬を撫でていく風ばかりだ。
 きっと何かが連れてきたのだろう。それが風なのか、春なのか、見えぬ者であるか、化けている狸なのか、私には知る由もない。

 そのあと私は台所に急ぎ、桝に米を盛り、小皿に塩を乗せ、酒杯に酒を注いだ。
 良い物を見せてくれたお礼に何か返したかったが、誰かも分からぬものにどんな形で御礼したらいいのかは分からなかった。

 少し神道的ではあるが、米と塩と酒の食うもの飲むものであればよろこばぬ隣人はいまい。花を運ぶ道すがら、飯に困らぬよう、渇くことのないよう、これをささげよう。もしかしたら煙を食うものかもしれないので、線香も焚こう。

 小さな盆をそっと窓辺に置く。
 そうして私はやわらかい春を迎えた。


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